高度サラシ粉の歴史
元々、高度サラシ粉は、繊維の漂白を目的として開発された薬品であり、1798 年には、イギリスの木綿の工業的な漂白が始まり、消石灰に塩素を吸着させた普通サラシ粉が開発されると、産業革命の大きな変換点として、下支えました。そして、1907 年には、ドイツのグリースハイム・エレクトロン社において高度サラシ粉の工業的な生産が始まり、日本では、1927 年(昭和2 年)に、大日本人造肥料㈱(現、日産化学)や旭電化が有効塩素65~70%の高度サラシ粉の工業生産を開始し、その後、1958 年(昭和34 年)には、その内容が、第1 版食品添加物公定書に掲載されました。又更に、繊維漂泊用の薬剤としましては、ガス用液体容器の登場によって、サラシ液や、亜塩素酸ナトリウム(液)が相次いで開発され、その後、これらも、食品添加物として指定を受けるに至りました。
食品添加物としての高度サラシ粉
食品添加物としての高度サラシ粉は、同じく、
●石灰乳に塩素ガスを吹き込んだ有効塩素60%以上のカルシウム系の塩素酸化物
●白色の粉末或いは粒
●リトマス試験紙を青変(アルカリ性)させ、次に退色(遊離塩素による漂白性)する。
●カルシウム塩の反応を呈する。
以上の性質を持ちます。
高度サラシ粉には、次亜塩素酸カルシウムもしくは、ヒドロキシ次亜塩素酸カルシウムの2種類が存在し、次亜塩素酸塩及びその他の塩類の混合物である事や、その歴史的な背景から、現在においても、単一化学品名ではなく、高度サラシ粉と言う混合物(複数の成分を含む物)を示す名称で食品添加物として、指定を受けております。
なお、高度サラシ粉は、食品添加物グレードが、水、プールの殺菌に利用されている事から、工業薬品としての高度サラシ粉は殆ど流通していないと言われています。